タイはどうなっているのか

タイの首都バンコクでは、アビシット首相の辞任と国会の解散、総選挙を求めるタクシン派の「赤シャツ」デモ隊が中心部に居座っている。二つのスカイトレーン(高架の市街鉄道で、タイに詳しい旅行ライターの下川裕治氏は、これに初めて乗った際に「あまりの便利さに家族ともども涙が出た」と書いている)の路線が両方発着し、自動車の交通でもいつも最も激しく渋滞するという、市内交通の要地だ。デモ隊がその後も動いていないのであれば、バンコクの交通は麻痺するだろう。また、ショッピングセンターだらけのバンコクにあっても屈指の規模と格式を誇る「サイアム・パラゴン」も、騒ぎの波及を恐れて閉鎖状態だという。
この問題に関しては、どう考えるべきなのか。タクシン・シナワットもと首相は、タイをシンガポールのようにしようとしていたという。彼の政権時代に、飲食店や風俗店の閉店時間はぐっと早められたし、市内のエアコンつきのレストランは禁煙にするように、などといううるさいお達しも出ていた。
だが、タクシン政治の最大の問題は、農村部の貧困層に希望を与えてしまったことだろう。いや、そのこと自体は素晴らしい。だが、少々の再分配、それも低利融資という形で、農村の貧困問題が解決できるはずはないであろう。けっきょく、既得権益層との戦いに敗れたタクシンが国外追放も同然の身の上となった後は、仮にタクシンが10年間首相をやっていたとしても実現不可能だった「誰もが豊かなタイ」に対するあこがれだけが、農村部に残ってしまった。これはきわめて危険な状態だと言えよう。
「慈父としての王」と仏教を巧妙の使って、貧しい人々に人生の不条理さを受け入れさせることで、無理のない経済成長を続けてきたタイだが、タクシンがばらまいた期待のおかげで、その仕組みが壊されてしまったのである。赤シャツ隊に関しては、貧しい人が多いので、乏しい軍資金が尽きたところで自然消滅になるだろうという予測が多かった。タクシンのタイ国内における財産を没収したのも、軍資金の供給源を断つためである。
もちろん、アメリカ流の強欲資本主義のタイにおける代理人のタクシンは、自分の財産を政治運動にすべてつぎ込もうなどとは考えていなかった。だが、念には念を、ということなのである。
タイは1997年の金融危機からも、さっさと立ち直った。仏教界が国民を説いてまわって、隠し持っていた金を寄付させたのである。それでさっさと、IMFからの巨額融資を返済した。第二次大戦の時の、日本軍との接し方にしても、あなどられないように激戦を一回したうえで、日本側についている。そして時が来たと見ると、さっさと連合軍側に寝返った。巧妙で、奥深い国なのだ。だが、今回の危機に関しては、都市と農村の貧富の差という、あまりに根源的な問題が根っこになっているだけに、解決は困難である。東南アジアにおける生産基地であり、最も快適な外国であるタイが政情不安に陥った場合、日本企業のこうむるダメージは決して小さなものではないはずだ。当分、注視する必要があるだろう。