(三日おいて、休日版)「テロとの戦争」ハリウッド戦線異状あり?

2007年が、The Kingdom (邦題『キングダム』)。
2008年が、Body of Lies (邦題『ボディ・オブ・ライズ』)。
そして2009年が、The Green Zone (邦題未定。『グリーン・ゾーン』なのか?日本では5月公開予定)。
これが、テロとの戦争/イラク戦争を描いた大作映画の、近年のラインナップということになろうか。他にもあるかもしれないが、今はちょっと思い出せない。見てもいないし(ある意味では、『クローバーフィールド』なんかも、9・11テロの副産物なのだが、ここではストレートにテロとの戦争・イラク戦争を描いているものに話題を限っている)。

『キングダム』は、ジェイミー・フォックスジェニファー・ガーナー主演で、サウジアラビアで起きたアメリカ大使館員居住区(当然、子供を含む家族も住んでいる)に対して行われたテロ事件の捜査に、アメリカから三人のFBI捜査官がサウジにやって来る。まあ、相手はがちがちの宗教国家で、しかもアメリカに対する交渉力も強いサウジアラビアとあって、捜査は難航する(というか、捜査にならない)。だが、三人の捜査官の機転(これは、アメリカ的)でもって捜査は少しずつ動きだし、彼らの熱意に共鳴する現地捜査官も出てきて、ついに大きく進展へ……。
これ、実はリドリー・スコットブラック・レイン』の21世紀版である。違いは、あちらがマイケル・ダグラスアンディ・ガルシアの男性刑事二人組だったのに対して、こちらにはジェニファー・ガーナーの紅一点が加わっていることと、そして、言うまでもなく、『ブラック・レイン』ではアメリカにとって経済戦争の「敵国」だった日本が「捜査」の対象だったのに対して、こちらはテロとの戦争の「敵国」サウジアラビアが俎上に乗せられている、という点か。
映像的、アクション演出的には格段の進歩を見せている『キングダム』だし、娯楽作品としては文句なしの傑作だ。だが、そこで描かれている戦争当事国としてのアメリカは、かなりやばい。というのも、テロでやられてしまうアメリカ人たちは、サウジ国内で呑気にアメリカ的に暮らしていたのだ。『ブラック・レイン』の場合は、日本のヤクザがニューヨークで殺しあった(つまり、アメリカの刑事たちの縄張りで悪さをした)ことから、話が始まったが、こちらで縄張りを侵犯しているのはアメリカ人側なのである。「そりゃ、やられるよ」という気になってしまうのだ(アメリカの観客は、それでもテロリストたちに対して怒りを向けるのだろうが)。そして、最後のところでは、ジェイミー・フォックスが「やられたら、やり返す」と言い、カットが変わると、彼に殺されたテロリストの親玉の孫が、「大きくなったら、アメリカ人を殺す」と言っている(確か、そんなだった)という、救いのなさである。物語の構造は

進出 → テロ → 報復 → もっとテロ(たぶん)

といった感じになるだろうか。「得体の知れない敵地で任務を遂行する困難さ」が、びりびりと伝わって来る一本だった。

ボディ・オブ・ライズ』は、レオナルド・デカプリオがアラビア語に堪能な現地派CIA工作員。『デパーテッド』で肉を増量したレオだったが、ここでは観客に馴染み深い華奢な身体つきに戻っている。翻弄される人物にふさわしい造形ということか。それを補うように、アラビストらしく濃いヒゲを生やしているのが、何だか変てこだ。デカプリオ工作員は、現地の実情に沿った工作を展開したいのだが、彼の上司でバージニア州ラングレーにいるラッセル・クロウはデカプリオの現地人協力者たちを損耗品としか扱わない。電子メールや携帯電話に頼らないことでアメリカのサベイランス技術の視界の外に出ることに成功したテロ・ネットワークを探して、イラク、ヨルダン、ドバイ、トルコと飛び回るデカプリオ。彼のアラブ世界に対する敬意の表し方に好感を抱くヨルダンの秘密警察長官。デカプリオの熱意のおかげで、ヨルダンに拠点を置くテロ組織に大接近するが、ラッセル・クロウやデカプリオの現地の部下の無神経な動きで、失敗。デカプリオはめげずに、テロ組織をあぶり出す奇策を思いつき、成果を上げかかる。だが、組織の動きのほうが速く、デカプリオ側はダメージを出し、デカプリオが心を寄せていた現地人女性(美人!)も拉致されてしまう。しかも、ヨルダンの秘密警察長官は、彼に嘘をついていたレオの願いを聞かない。人質交換でテロ組織に連行されるデカプリオ。衛星カメラで追っていくCIA。巧妙に(ヒント・朝鮮戦争における人民解放軍の戦術)衛星カメラを無力化するテロ組織。最後は、デカプリオがCIAを去って、アラブ世界に溶け込むというあたりで幕。
ここでは、アメリカは現地人のゲリラ戦術に翻弄されている。そして、敵のゲリラ戦術の裏側を見通せる能力のある人材は、アメリカを去ってしまうのである。肥満したマイホームパパであり、冷酷を通り越して無神経な(だが、きわめて有能な)ラッセル・クロウは、CIA、それともアメリカを、象徴するキャラクターだ(それとの対比を強調するために、デカプリオは痩せてしまったのか)。
ここではアメリカは、かなり敗色濃厚になっている。『キングダム』における「得体の知れない敵地」が中近東全域に広がり、しかもアメリカは、そこではかなり無力である。テロ組織と効果的に戦えるのは、やはり現地諜報機関というあたりは、相当にリアルだ。

『グリー・ゾーン(仮)』は、日本語版が近く刊行される『グリーン・ゾーン』(原題 Imperil Life in the Emerald City)にヒントを得て作られた一本。この本、実は私の訳で、その縁で試射を見ることができたのである。ノンフィクションがもとになっているが、アメリカのイラク占領の顛末を描いて、日本語版で500ページ近い大著のエッセンスを凝縮しているために、物語は完全なフィクションである。寓話、と言ってもいいかもしれない。主演はマッテ・デイモンで、監督はデイモンの『ボーン』3部作の監督(3本全部ではなかったと思う)をしている、ポール・グリーングラスだ。
長い本の訳で苦しんでいた身としては、「すっきりまとめていただいて、ありがとう」と、何やら『柳生武芸帳』映画版を見た五味康祐のような心持ちだった。『キングダム』も『ボディ・オブ・ライズ』も、アクション・サスペンスとしては傑作だと思うが、この一本も、そうである。違いがあるとすると、構造の明確さだろうか。ただし、その構造、アメリカ人にも正体不明のテロとの戦争のそれではない(それは、『ボディ』のほうで、不可視のものとして描かれている)。アメリカの知識層、リベラル派としてはわかったつもりの、イラク攻略戦の全貌だ。アクション・サスペンス映画が傑作になるのは、追及される謎に一国なり世界の命運がかかっていて、しかも説得力がある時だが、その条件は見事にクリアされている。しかもその謎、実話以上に本当ぽい。そして、この映画で描かれるアメリカは、本当にダメだ。いいことが、ないのである。戦争の大義はなし。そして、大義のない戦争をしたものの、その結果として大きなトラブルを抱えている。まるきりの馬鹿である。じっさいのイラク戦争の背後にあった計算としては、拙訳書『新・世界戦争論』や『バブルの興亡』を読んでいただきたいのだが、この映画で描かれている「真相」は、あまりに説得力があって、脱帽してしまった。出てくるイラク人が、マット・デイモンに協力する青年も、マット・デイモンらに追われるサダム政権の将軍も、尊厳をもって描かれているところにも好感してしまう(将軍は、本当に貫禄がある)。

この三本をごく短い期間に次々と見た感想は?
アメリカは、大義なき負け戦を戦っている」
少なくとも、それがハリウッドの審判だとしか思えない。