(休日版) 『坂の上の雲』の司馬遼太郎

映像化がなされることがないと思われていた司馬遼太郎後期の代表作『坂の上の雲』が、NHKによってドラマ化、放映されている。主人公とされるべき登場人物たち(秋山兄弟)の出身地である松山では、ちょっとしたブームになっているようだ。
とはいえ、私はテレビの前に腰を落ちつけられる体質でもなく、ここではずっと前に読んだ時の記憶をもとに、この小説とも何ともつかない文章が描き出す、日本近代史の構図が何なのか、ひいては巷間言われる司馬史観とは何かについて、考えてみたいと思う。

坂の上の雲』は、小説として、どれほどのものだろう。史実を語りなおすのが、ある時点から先の司馬の作品群の基本形である以上、この問いは日本近代、明治後半期の日本の状況が、どれほど小説的だったかと尋ねるのと、同じことだ。
当時の日本は、一言で言えば、戦争熱にとりつかれていた。忘れてはならないのは、戦前の日本が国際金本位制に組み込まれていた(江戸から明治への最大の変化は、ここにある)という事実である。日清戦争で日本が受けとった巨額の賠償金は、円の裏付けとしてまことに貴重であり、おかげで戦勝の果実は、国民一般が実感できるものとなった。戦勝 → 通貨増大 → 好況 という因果連鎖が、存在したのだ。陸奥宗光が日清戦勝に際して「これで日本は金持ちになった。もう戦争をしないですむ」と言ったのは、文字通りの話しだったのである。
その日清戦争からわずか10年後に、日本は国力ではるかに自らを上回るロシアを相手に、大戦争を戦うことになっていた。これはいったい、なぜなのか?
司馬はロシアの南下、朝鮮半島をロシアに奪われることの危険性などを説いている。また、日露戦争で日本が負けた場合、日本がロシアの保護国になっていた、などというシナリオまで披歴してくれる。
だが、これは当時の国際政治のパワー・バランスから言って、実現していた可能性の低いシナリオだ。ロシアが日本をとれば、困るのは当時の極東で最強だったイギリスだろう。アメリカにしても、太平洋に日本という形で海軍基地を手に入れたロシアにフィリピンを、ひいてはハワイを脅かされることになる。日本が負けた場合、日本を保護国化するのは、イギリスだった。だが、そのコストは高くつく。
ここで、司馬もはっきり書いている、イギリスの日本に対する過剰なまでのサービスの本質がはっきりしてくる。日露戦争は、ユーラシアの覇権を賭けた英露の葛藤、いわゆるグレート・ゲームの一環だったのだ。朝鮮戦争ベトナム戦争が米ソ角逐、いわゆる冷戦の一環だったのと、同じことである。司馬はイギリスの助力がいかに重要で、それなくしては日露戦争に日本は勝てなかったと繰り返し述べているが、実はイギリスなくして日露戦争があったかどうかというほうが問題なのである。ロシアの脅威を日本陸軍の若き将校たちに説いたメッケル顧問はプロシャ人だが、明治初期のプロシャはイギリスの同盟国だったことを忘れてはなるまい。
司馬の書き方で皮肉なのは、『坂の上の雲』で最も魅力的なのはバルチック艦隊に乗り組んでいるロシア人将校である。彼が故郷に送って書いた一連の手紙には、まことに人間の声がみなぎっている。いちばん小説らしい下りと言えようか。これは、日露戦争における日本側の努力を称揚する小説の、最大の皮肉だ。最も人間らしい声が、敵側にあったのだから。
では、日本側にあったのは何か?
国民的団結だ。司馬が『坂の上の雲』において、「ニコライ二世対日本国民」という図式を採用していることに気がつかないのは、かなり鈍感な読者だと言える。ロマノフ朝の皇帝といえば、当時の世界で最大の権力者であり、そしておそらく最大の金持ちだった。ヨーロッパ君主制の金看板だったのだ。それが、日本人を「猿、猿」と言っている。日本人読者としては、目の前が真っ赤になるほど、ニコライ帝に憤ることだろう。
そして、そのニコライ帝を倒すのは、明治大帝、ではないのだ。明治帝は、ちらとしか出てこない。それは、けっきょくは爵位のもらえなかった、ほぼ無名の将軍たちであり、さらには無名の民衆である。対馬沖にバルチック艦隊が見えたことを報告に走り続ける漁民であり、シベリアで深夜の渡河作戦を整然と行う兵士たちなのである。
実は、司馬が書こうとしたのは、この無名の日本人たちだった。彼らのマスゲームのような努力があって、不可能と思われた勝利が実現されたと、司馬は言いたいのである。そして、それだからこそ、読者は『坂の上の雲』に熱狂する。
ただし、司馬のこの筆法には限界があるということも指摘しておかなくてはならない。『坂の上の雲』の最大の悪者は、乃木であり、伊知地である。つまりは、藩閥の軍人たちだ。伊予松山出身で藩閥から遠く離れた位置にある秋山兄弟が、片や日本海海戦の頭脳であり、片やコサック騎兵を破った(戦争の帰趨には関係ないのだが)というのは、つまりは薩長無用論であり、さらには薩長出身の乃木・東郷という二人の軍神に対する反対論だ。
この、司馬の藩閥批判に、正当性はありや否や?
否、と私は答えざるをえない。薩長なくして近代日本はありえず、彼らを除け者にした日本近代史はありえない。司馬はけっきょく、冷厳たる歴史的事実を幻想によって置き換えてしまっている。『坂の上の雲』は、読んでいて痛快ではあるかもしれないが、そこには日本近代は描かれていないのだ。
それでも私は司馬を高く評価せざるをえない。この本が書かれたのは、明治百年を記念するさまざまなイベントの一つとして、だった。明治百年に関しては、当時総理大臣だった佐藤栄作が音頭取りをしていたし、岸信介もいろいろと頑張っていた。つまりは、長州閥の手前味噌だったのである。高度成長は維新の延長と、鼻息も荒い岸・佐藤兄弟の足もとで、藩閥批判の歴史小説を書いていた司馬遼太郎。歴史理解としては甘くても、反骨精神は相当に旺盛だったのである。