(休日版) 小室直樹の理論とは?

ううむ。濁り酒の恐ろしいことといったら、目が覚めたら午後だった。
それはさておき。
小室直樹である。今を時めく橋爪大三郎宮台真司の師匠の大社会学者であり、京都大、ミシガン大、ハーバード大、MITなどで学術武者修行をしてまわって、最後に東大から法学博士号を取得している「知の巨人」だ。
小室の仕事としては、パーソンズ理論の犀利な解説もあるが、記憶されるとすれば、やはり『ソビエト帝国の崩壊』『資本主義中国の挑戦』『アメリカの逆襲』などの、一連のカッパブックスの一般向け著作だろう。冷戦期、日本人の大半はソ連崩壊について晴天の霹靂で、アメリカのほうが先にパンクすると思っていたのだが、この人だけはかなり早くに先を見通していた。ソ連軍のアフガン侵攻の翌年に「ソ連崩壊」などといっているのだ。内情に精通していたKGBの人たちと同じ結論に達しているのである。『資本主義中国の挑戦』にしても、その予測は当たりつつあるようである。今の中国の「中国的社会主義」、資本主義以外の何ものでもないであろう。
大学時代、後付け解説さえ満足にできない大学教授がうようよいる今日の日本の社会科学の世界で、明晰でわかりやすく、大胆でしかもよそくのあたる小室は、輝かしい存在に思えたものだ。
だが、今にして思えば、小室の予言はけっこう当たっているが、その理屈付け(社会科学者なので、ちゃんと理論が提示されている)には、かなり無理があるとしか思えない。
たとえば、ソ連崩壊である。ソ連共産主義なる宗教を報じる宗教国家であり、その最高指導層が「スターリン批判」を行ったことは、アノミーをもたらす、その毒が回って、やがてソ連は崩壊する、というのだ。
いっぽう、中国の資本主義化だが、こちらは毛沢東批判である。毛沢東教という共産主義教の一分派を奉じる中国で、毛沢東の誤りが認められた。これはアノミーをもたらし、やがて中国は資本主義にいたらざるをえない。
そして、アメリカ。日本は自然国家で、アメリカは人工国家である。国家の成り立ちからして違う。だから、対立は必然だ。
こんな調子で、明快ではあるが、少し首をひねってしまうだろう。中国とソ連が、同じアノミー(無規範状態、と小室は訳している。デュルケームの作った用語)に陥りつつ、片や資本主義テイクオフ、片や崩壊である。しかも、アメリカと日本は利害ではなく、体質の違いによる対決と、何やら「宿縁」などという言葉を思い出したくなる。これで科学的なのだろうか?
実は、小室はソ連や中国を分析しているのではない、というのが、正解なのだろう。小室は一貫して、日本の話をしているのである。体制が言葉で自己否定を行って、「無規範状態」としか言いようのない状態が訪れたのは、実は日本の戦後のことなのである。天皇の「人間宣言」がもとで、日本文明は滅び、日本資本主義は栄えることになった。空虚な繁栄、その源はいずこにありやと、小室は三島由紀夫のように考えるのだ。そして、日本人にとってはわかりやすい、宗教権威主義体制のソ連と中国に、戦後日本の二つの姿を重ね合わせる。片方は繁栄で、片方は崩壊でも、日本の「空虚な繁栄」が滅亡の一種だと考えると、筋が通る。アメリカに関しては、本当にただ、憎いのだろう。アメリカこそが宗教国家で、資本主義の精神はプロテスタンティズムから来ているというのが、社会学者の読みのはずだが、小室はそこに恐ろしい敵性文明しか見てとらない。
じっさいには、ソ連が崩壊したのは、あまりに効率が悪いシステムを作った挙句の「破産」だった。財政が行き詰れば、体制は崩壊するというのは、古今東西にあてはまる真理ではないか。中国の資本主義化は、政府が国民の面倒を見るのをやめた結果であって、だいたい毛沢東批判なるものは「7割は正しかった」という程度である。また、どちらの国でも、共産主義を信じる人というのは、ごく少数派だった。
だいたい、共産主義といっても、主要テキストは資本主義分析であって、「共産主義をどう作るか」という議論は行っていないのである。何か信じるとすると(日本の知識分子の多くがそうしたように)、資本主義はやがて(それも近々)崩壊するという、他人の国についてのことばかりだった。そんな変てこな信仰が否定されたからといって、ソ連社会なり中国社会なりが変質するとも思われない。
アメリカと日本の「宿命の対立」にいたっては言語道断で、日本こそが人工国家であり、野放図に広がろうとするアメリカは自然国家なのではないか。あるいは、ウォーターゲート事件アメリカにアノミーをもたらさなかったのか。こういう、重要な反論や疑問には一顧だにすることなく、「アノミー」という便利な用語でもって、小室は現実を斬っていった。その予言はたまたま当たったが、それで彼の理論の正しさが証明されたわけでもない。
皮肉なことに、デュルケムが「アノミー」という言葉でえぐり取ろうとした現実は、産業化にともなって急激に進むフランスの都市化だったと思われる。農村から都市部に出てきた若者が、混乱して問題行動を起こしていたことを指して言っているのだ。福島から出てきて、教徒経由でアメリカという「都会」に出て行った小室は、まさにアノミーを起こしてもおかしくない人物だった。小室は初期の『危機の構造』で、日本社会で生きていく過程で遭遇した辛い体験すべてについて「アノミー」で片づけるトンチンカンぶりだったが、自分がアノミーの見本だから、アノミーという概念がわからなかったと見ると、腑に落ちる。ここで残念なのは、小室に対して大真面目に論戦を挑もうとする人間が、当時の論壇に誰もいなかったということだろうか。小室の精緻な頭脳から生み出された大ざっぱな理論は、日本の言論界、学界における彼の孤独さの産物だった。ソ連崩壊は、孤独な魂に神が与えたプレゼントだったのだ。