(休日版) あまり語られない 映画の「引用」

「あ、この場面、見たことがある」 映画を見ていて、そんな既視感にとらわれることがある。
それは別段、心理の作用でも何でもなく、じっさいに他の映画から持ってきているだけのことである。その場で見ている映画の監督の、もとの映画に対する尊敬と愛情から来る行為として「引用」と言われるもので、ブライアン・デ・パルマの一連の作品がヒッチコック作品からふんだんに引用している例などが、よく知られている。
だが、時にはあまりに巧妙で、しかも引用側の努力を大幅にはぶいてしまっているので、ただの「盗用」ではないか、と思われる例もある。
今回は、大々的な引用でありながら、あまり誰も気が付いていないのを一個と少々。
リュック・ベッソンといえば、フランス映画界に久しぶりに現れたエンタテインメントの巨星である。ハリウッドを超える、体感可能な迫力ある映像に、フランス的な知性と皮肉(エスプリ、とはどうしても言いたくない)の効いた佳品を、何本も撮っている。駄作もあるのは当然だが、中には『レオン』(原題 The Professional)のような大傑作もある。制作に関わった『ヤマカシ』なんかは、ハリウッドでは不可能だったと思う。また、ベッソンの成功に勇気づけられて、フランスは定期的に完成度の高いエンタテインメント映画を生み出すようになった。近頃日本でも公開された、史上最も恐ろしいホラー映画(というのは、私の評価です。最後まで恐ろしく、見終わった後も怖いこわい余韻がある、珍しい一本)『マーターズ』(原題 Martyrs 殉教者、の意)や、ハリウッド版が近く公開される『ブルー・レクイエム』、それに、レオンと同じジャン・レノ主演の『狼の帝国』のシリーズだ。
さて、そのベッソンの初期の一本に『ニキータ 暗殺者』なるものがある。街の不良少女が秘密機関にリクルートされて、プロの暗殺者になるという筋立てだ。映像がスタイリッシュなので、そこそこ人気があったと思うが、私としては主演のアンヌ・パリローが狼を思わせる容貌なので、まったく興をそそられることがなかった。
ところが、このアンヌ・パリロー、作中何か所かで非常に不思議な服装をしているのである。白地に大きな水玉のワンピースに、ツバの大きな帽子とか、そんな、時代がかったおしゃれをして登場しているのだ。
パリローの容貌のあまりの恐ろしさで見る者は誰も気がつかないのだが、女殺し屋のニキータ嬢、「永遠のアイドル」オードリー・ヘップバーンの『シャレード』や『おしゃれ泥棒』における服装を、そのまま再現しているようなのである。
これは凄い。20世紀を代表する美人女優のパロディをしつつ、主演女優の顔立ちのせいで、誰も気がつかないのだ。
そして、その点に気づくと、『ニキータ 暗殺者』の話がどこから来ているかもわかる。これは、『マイ・フェア・レディ』なのである。ボロボロの不良少女が、大人の男に導かれて、一人のレディ(まあ、殺し屋ではあるのですが、自立したプロフェッショナルということで)になるまで、を描いた物語なのだ。うんと年長の男性との師弟愛と恋愛の混じったような関係に、同年輩の若者との、より純粋な恋愛が入り混じって、物語は進んでいく。殺し屋の話のはずが、後半妙にべたべたしているのは、下敷きにしたのが社会風刺の恋愛劇だったからだ。引用に引きずられて失敗した例と言えようか。
面白いのは、『ニキータ』のアメリカ版『アサッシン』にも不思議な引用が発生しているという事実である。もっとも、それは『アサッシン』本編が先行作品のヘンテコな引用を行っている、というのとは異なっている。主人公の女性にどんくさいブリジット・フォンダを持ってきていることからもわかるように、『アサッシン』はかなり映画的に鈍い人が撮っているのだ。
そうではなくて、『アサッシン』に登場する「死体の始末屋」が、ハーベイ・カイテルだというところに、私は注目している。かっこよく登場して、かっこよく仕事をして、かっこよく殺されていく役柄である。しかも、ハリウッド映画的には「男の中の男」の地位を確立しているかに思われる、ハーベイ・カイテルである。ちなみにオリジナルの『ニキータ』では、ジャン・レノが演じていた。
実は、映画の出来はともかく、ハーベイ・カイテル演じる死体の始末屋に惚れこんだ監督がいた。それが、クエンティン・タランティーノだ。傑作『パルプ・フィクション』で、ハーベイ・カイテルは「休日を邪魔された死体の始末屋」という役柄で登場するのである。こっちも、かっこいい。というか、渋い男だった。そして、たいへんな貫禄でもって、トラボルタとサミュエル・ジャクソンに死体の始末をさせていた。
ハーヴェイ・カイテルは、この仕事の後で、ブリジット・フォンダの後始末をしに駆けつけて、落命することになる。その事実に対するタランティーノの復讐心が爆発したのが、『ジャッキー・ブラウン』だ。こちらには、『アサッシン』を台無しにしていた(そのドンくささでもって、ハーヴェイ・カイテルを死なせてしまった)ブリジット・フォンダが登場し、映画史上最悪のビッチぶりを発揮する。見ていて頭がくらくらするような性格の悪さなのだ。そして最後には、かっとなったロバート・デニーロに撃ち殺されてしまうのだが、なんと殺されるフォンダは、画面の外なのである。
死ぬ場面を撮る必要もないと感じるほどに、タランティーノはフォンダを(というか、彼女が演じた女殺し屋を)憎んでいたのだろう。