アメリカ、医療改革の行方

オバマ政権にとって一年目で最大の懸案事項である医療改革法案(来年はまた別の大型懸案事項が浮上するのだと思う)だが、どうやら上院民主党のコンセンサスを得られそうだ。
きわめて現実的な選択肢で、一つは高齢者向けの医療制度メディケアを、従来の65歳以上に、55歳以上の医療保険未加入者を加える、というもの、それと、全国規模の民間医療保険制度で、現在連邦議員や閣僚が加入しているものを拡大するというものだ。
前者の、55歳までのメディケア引き下げに関していえば、これはばらまきである。55〜65歳というのは、医療保険非加入者(つまりは低所得層)において、最も多く健康上の問題が発生する年齢帯ではないかと思われる。まあ、発生する少し手前で手を打てば長期的には医療費は安上がりだという理屈も成り立つかもしれないが、短期的には連邦政府財政がひたすら膨張するだけ(もっとも、今更そんなことを問題にしても始まらないのだが)という気もする。とはいえ、反対しにくい提案なのは確実である。
もう一つの、「議員や閣僚が使っている制度を拡張」というのも、反対しにくいところが面白い。どうせ好条件の医療保険制度なのだろうが、拡張に反対すると反対した側が単なるエゴイストの嫌な奴に見えてしまうのである。
つまり、財政規律の点から反対のなくもなさそうなメディケア拡張も、この「議員さんといっしょ」と組み合わせると、反対しにくくなる、というわけだ。二つを分けて反対しようとしても、マスコミ的には「反対派」で一くくりにされてしまうだろうし。
というわけで、ここまではオバマ政権に一本。抜本改革は無理でも、国民心理を明るくするような立法上の勝利が必要なオバマ・チームが考え抜いたことを実感させてくれる。ウォッチャー的にはなかなか嬉しい法案でした。

いっぽう、アフガン増派だが、これはどういう計算に基づいているのだろう。けっきょく、オバマとしてはアフガン増派を大統領選の公約で打ち出しているというのが大きいものと思われる。外交面で軟弱と言われたくないので、当時すでに進展しつつあったアフガン増派に乗っかったというだけのことだが、いざ大統領になってみると、困惑しきりなのではないだろうか。平坦で視界を遮るもののないイラクでさえ、占領はうまく行っていない。それが、大英帝国が失敗し、ソ連にいたっては国家崩壊の引き金となったアフガン占領である。しかも、カルザイ大統領は頼りにならないし、腐敗している気配も濃厚だ。オバマとしては、大統領に就任した瞬間がピークだったカルザイと仲良くしていると、いつの間にか自分もそう言われるようになっていた、なんていうことになりかねない。
アフガン増派が「破滅への一本道」にしか見えないのは、オバマ政権が、きわめてまっとうな人たちの集まりだからだろう。ブッシュ政権が無茶なイラク攻略でもって、アメリカの良識派の神経を逆なでし、同時にアメリカのビジネス界中堅層を興奮させることができたのは、ブッシュ本人の馬鹿っぽさに加えて、彼の側近たちが全員危険人物に見えたからだ。例外的な存在のパウエルとライスに関しては、パウエルはさっさと使い潰され、逆にライスは「力がない」という理由で温存された。リベラルな学者や言論人が、「自分たちのほうがこの政権よりは頭がよい」と思ってやいのやいの批判するのを無視して、猛然とイラクに突っ込む。そこでとりあえずの成功を収めてサブプライム・バブルを作り出す。それがまあ、ブッシュ政権の大仕事だったわけである(詳しくは − くどいようだが − 拙著『バブルの興亡』(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062157128/)を参照していただきたい)。
オバマのアフガン増派にしたって、ブッシュ政権がやっていれば、「イラクとアフガンから、イランを挟み撃ち」みたいな噂話が、自然と発生していたであろう。そしてそれが、下品なMBA人種に受けて、軍事関連株、エネルギー関連株が買われ、株高をもたらしていた。オバマの場合、本人にかなりのためらいが見られる(というか、見透かされてしまう)ので、来年から急増する戦死者の入ったボディーバッグ(死体を入れるプラスチック製の袋)の山だけが目に浮かぶのだ。なんともダウナーな戦争である。ジミー・カーターにしても、きわめてまっとうな人物だったからこそ、オイルショックベトナム敗戦の後のアメリカ人の幻滅の感覚をひっくり返すことができなかった。もっとも、幻滅から救われたアメリカ人がたどり着いた先はレーガンネバーランド財政赤字は「ネバー・ア・プロブレム」)だったわけで、出来れば幻滅を抱えたまま成熟してほしかった。だが、ポスト・レーガンアメリカで大統領を続けようとすれば、幻想に媚びる以外の方法がないというのが、現実だ。そこをすべて誠実に対応しようとするオバマ政権に2期目はあるのか? いや、1期目も任期をきちんとまっとうできるのか?
こんな問いがごく自然に湧いてくるオバマ政権からは、やはり目が離せない。