ドルに代わる基軸通貨は何か?

私がアメリカの株価暴落が必然だと考える最大の理由は、ドルの信認に問題が生じていると判断するものだからである。1982年以来、貿易赤字の増大はとどまるところを知らず、この先人口が高齢化するとともに、いっそうこの問題は悪化するだろう。
貿易赤字を生み出しているのは、生産力を上回るアメリカの輸入なわけだが、ではアメリカに輸出をしている国々が代金として受け取るドルで何をするかというと、アメリカ自慢の金融セクターに資金を投じるのである。ところが、その金融セクターは、けっきょくインフレ率を相殺して、さらにプラスアルファをつけるようなスピードでドルを増やしているだけのことだ。アメリカは財やサービスを受け取り、輸出国側はひたすら増殖を続けるドルを受け取る。このやりとりは、「ドルが上がりそうだ」「ドルは大丈夫そうだ」という期待がなければ、すぐに破綻してしまう。
リーマン・ショックは、「ドルは上がりそうだ」「大丈夫そうだ」という期待に、風穴を開ける事件だった。ノーベル賞級のエコノミストを多数擁するアメリカ政府、FRBの果敢な財政出動と金融緩和によって景気の底が完全に抜けることは防がれ、これがドルの価値を支えてはいるのだろうが、もう一度クラッシュが起これば、今度こそドルの危うさが露呈してしまう。ドルにはアメリカの通貨以外にアメリカと関係のない国々の間の貿易でも決済に使われているという事情はあるのだが、それとてもアメリカが世界最大の市場であり、世界最強だとされる金融部門を擁しているからこその話だ。世界最大の市場がその実、紙幣印刷のための輪転機を回すだけのバナナ共和国であり、金融部門は資産価値を高騰させることで、増大したマネーサプライがインフレにならないことが上手なだけのアクロバット集団であることが露見すれば、貿易決済用ドルというものも消滅してしまうだろう。価値の裏付けが蜃気楼でしかないのでは、いくら便利でもやがてはみんな逃げ出してしまうのである。
ドルの地位が劇的に退化するという話をすると、当然のように出てくるのが「ドルに代わる国際通貨、基軸通貨は何か」という問いである。ここで興味深いのが、基軸通貨というもの自体は、ブレトン=ウッズ体制崩壊以後の、きわめて新しい現象だという事実である。それ以前、本当の国際通貨は金(ゴールド)だったのだ。
金は長い伝統に裏打ちされており、見た目も何やら本当に価値があるようで、国境を超える取引にはうってつけと思われる。だが、「政府の意図で増減させられない」結果、その価値が変わらないか、長期的には上昇するという金の魅力が、逆に現代の世界経済において金を通貨として好ましくない存在としている。適度にインフレが起きて、借金が減価されていくほうが、今日においては通貨のありようとして好ましいのだ。技術進歩はけっこうハイペースで起こっているから、富はじっさいに急激に蓄積されているが、たまに新しい鉱山が発見される程度の増え方しかできない金を通貨として扱えば、その経済は常にデフレ基調に陥ってしまうことになる。
いっぽう、世界最大の輸出経済となった人民元がドルに代わって基軸通貨になるのではないかという説もある。確かに輸入超過のせいでドルがダメなら、輸出超過の人民元は急浮上してもおかしくない。だが、人民元には致命的な欠陥がある。中国の軍事力がまだ成熟途上にあり、国内に深刻な分離運動などを抱えているせいで、「有事の人民元」とはなりにくいという点が、それである。また、司法制度も未熟で、中国金融機関に対する不安を、外国人なら感じることだろう。そしてこのことは、BRICsと言われる大型発展途上国のすべてに共通して言えることである。
いっぽう、ドルの対抗馬として構想された気配さえあるユーロだが、今回のダブル崩壊(リーマン・ショックではじけたのは、アメリカのサブプライム・バブルと、ユーロ圏の不動産バブルの二本立てなのだ)でもって、消滅へのカウントダウンが始まったと見るべきだ。財政危機が、深刻化してしまったのである。
この、(財政危機 → 通貨不安)という事情は、日本も同じだと言えよう。ユーロも円も、この不安はまだ顕在化していないが、やがて必ず浮上してくるはずである。だがそうかといって、シンガポール、香港、スイスなどの金融センター通貨では、その背後にある経済の規模があまりに小さすぎる。イギリス・ポンドも、またしかり。IMFが発行するSDRにしても、主要国通貨のバスケットであり、ドル、円、ユーロが危機に陥れば、SDRも価値を大きく低下させざるをえない。
つまりドルに代わる決済通貨というものは、容易には登場しそうにないのである。
では、急基軸通貨のドルが怪しくなり、新機軸通貨が難産気味で、世界経済はどうなるのか?
おそらく、世界経済、グローバリズムと呼ばれる現象は、遠からず(次の10年、20年で)消滅する。後に残るのは、第二次大戦前夜におけるような、さらにいえば前近代(コロンブス以前)におけるような、「大型アウタルキー(自給自足経済)の並立」である。
これは、悪いことだろうか?
一概に、そうは言えない。現在のグローバリズムが、果たして人類全体にとって好ましいものかどうかは、わからないからである。また、地球全体が、一つの経済としては完結している(太陽からエネルギーを受け取っているという意味では大幅入超なのだが、何と言ってもこれは、無料である)のだから、それがいくつかの、十分に大きなブロックに分割されて、同じくらいの自律性、自己完結性を持つことは、十分にありうるだろう。BRICsの台頭というのは、新しいグローバル経済秩序の予感ではなく、むしろ来るべき新アウタルキー時代の先触れだと考えるべきなのだ。